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カフェ・モンマルトルのヌメヌメノン 〜再訪〜

トゥラリカとCGS、それぞれで東京遠征をしてきました。トゥラリカではoono yuukiさんと再会して打ち上げ後にサイモン&ガーファンクルやボブディランをうろ覚えでセッションしたり、びっくりドンキーでびっくりしたりしました。CGSでは「メンヘラ」「力士」「クソ」などポイント制を設けてお互いを評価し、ポイントを稼ぐために自撮りしたり丘を転がったりしました。それぞれ誘ってくれたオルグのミヤジさん、MSK、本当にありがとう!


ここ最近機材探求にかまけて体内ディグもとい曲作りが進んでません。まあそういう時もあるでよ。トキノミノル用ボードのメドがたったので次はCGSでの歪み探しですね。テレキャスでパンテラみたいな音出したいんでもしアテがある方は教えて下さい。

なんとなくセシルテイラーの1962カフェモンマルトル盤が自分の理想のひとつのかたちに近いような気がしてきました。ホントなんとなく。
この盤はテイラーがこの世で初めて、「現在フリージャズと聞いて想像されるであろういわゆるフリージャズ」を刻み込んだ名盤(多分聞いたことがない人はオーネットコールマンよりもこれがフリージャズだよ!と思うはず)として紹介されながら、テイラー自身のその後の音楽の達成度完成度からすれば過渡期的作品でしかないという評価もされがちな作品です。僕は特に過渡期厨ではなくむしろ到達点厨なのですが、この作品には妙に魅力を感じてしまうのですね。
演奏者が演奏中に「覗いてしまった」感が音楽のフォルムに現れるのが個人的音楽の魅力のひとつで、この作品で言うとサックスのジミーライオンズの、ビバップを解体/再構築したと評されるフレーズから特に感じられます。過渡期と言ってしまえばそれまでですが、実際、制限下でこそ本当の自由が生まれるなんてもんでなく、制限下で自由を目指した結果本当の自由なんかよりよっぽど得体の知れない化け物を見てしまった事例かもしれません。陳腐な物言いですがまあこの程度です。ジャズに限らずジョアンジルベルトの「三月の水」とかアーサーラッセルの唄モノ諸作にもこういう感覚はあると思います(テイラーのモンマルトル盤にはそこにバンドとしてプレゼンされているカッコよさまである!)。ここまで書いてふと思いましたがこれって俳句なんじゃなかろうかと、もっと言えばポエジーなんではないかと。井筒俊彦先生が芭蕉を評して書いていたことってこういうことなんじゃないか。読み直そう。というかきちんと俳句を通りたい。森敦も俳句に通じていたし、尾崎放哉の句集も読みたいし……。表面的に歌心を繕わずともポエジーは生まれるし、無機質でも幾何学的でもそこにしかないポエジーがある考え方を再確認して、それがここ最近考えていたジョルジュブラックやピカソのキュビズム作品における淡~い柔らか~いノスタルジックとすら言える色使いと繋がった。繋がったからどうということもない。そういうことです。
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