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思索としての雨乞い

昨日(7日)は鶴舞kd japonにトゥラリカで出演してきました。スティーブジャクソンの企画です。

ここ最近の中では頭一つ抜けた出来でやれたかと。やっと昨年末の感覚を取り戻せたような気がします。最近始めたバイトで割と時間を取られていてちょっくらフラストレーションが溜まっていて(とは言っても大した労働量じゃないので弱音も吐いていられないのですが)、何かバンドで演奏することがこれまで以上に一層意味あるというか楽しいものに感じました。やっぱりブチギレない程度には抑圧も必要なんでしょうかね。バンドも結局は演奏している時間の中にしか存在していないのを痛感させられます。しかしだからこそやる価値がある。


じゃあ価値ってなんなんですかね?何でしょうかね。音楽に限らず創作活動をやることのひとつの良さって、凄く陳腐ですが「空間とのオリジナルな関わりを持てる(可能性のある)手段」だと思うんですけど、じゃあオリジナルな関わり方が出来たところで、その先に何があんの?って考えたら、多分何もないんだろうなって気がするんですよね。

結局、演奏中の言いようのない高揚感だとか飛躍感ていうものに頼る感じになる。躍起になって言語化する必要なんて全くないんですが(笑)そもそも音楽自体が言語で再構成できないものですからそんなもん当たり前。



じゃあ、またじゃあって使いますすいません、なんで音楽について語ろうとしてしまうんでしょうか。と考えると、むしろ音楽を語るときに起こる齟齬こそ楽しめるのではないか。音楽について無理矢理語ることで起こる軋みが、語られる対象の音楽の別種の面白さをつくっていって、それは音楽そのものを巻き込みながら音楽云々から飛躍したもっと妙なものになるのではないか……。
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