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青木淳吾「このあいだ東京でね」

青木淳悟の「このあいだ東京でね」を読んでいるのですが、個人的にとんでもない箇所があったので載せます。

*****

「木村屋總本店のあんぱん、空也の最中、資生堂パーラーのチキンライス……」
想いの強さにおいてその視線は、はるか銀座四丁目あたりまで透過しているようなものだったが、実際には窓ガラスの光学的な歪みと、通りの向かい側に軒を連ねた中層ビルとによって阻まれ、さらにその先にもひしめきあうビル群、おまけにJR線のガードと首都高の高架車線が街を明確に区切っていた。新橋のオフィスから銀座4-5-7の「あんぱん」までまっすぐに届くものがあるとしたら、それは想像の矢か、あるいは波長の極めて短い放射線くらいのものだろう。

「さようなら、またいつか」より(「このあいだ東京でね」に収録)

*****


僕は言葉を費やして沢山の意味を構築するよりも、言葉を費やせば費やすほど、どんどん所謂「その言葉が意味するもの」とは違う所に行ってしまう(この時の主語は自分かもしれないし他人かもしれない)ということの方に興味があって、それは村上春樹のように比喩~寓話で全く違う場所と繋がるということではない(そして僕が村上春樹を嫌っているというわけでもない)。
よくよく見ると引用した青木淳悟の文章はそうした不可避な意味の逸脱みたいなものとは違って、単純に眼差しの面白さに焦点が合っているけれども、今読んでいる短篇の他の文章には前述の逸脱感がめちゃくちゃある。



今更僕がドヤ顔で言うほどのことでもないが、「何も起こらない」という小説は「どこかに何かがある」ということの裏返しなわけで、自覚的にせよ無自覚にせよその示唆の向こうにどういうものを置くかが作家の実力ということになる(と思う)。もちろんこれは極めて難しいことで、ちょっとしたセンテンスの加減あるいは筋の流し方で途端にあざとく計算じみた作者に都合の良い小説になりがちだ。僕は小説を書いてこの点での実力の無さを痛感した。修業が足りない。ともあれ、そんな中での読み手はじゃあ一体何があるのかということを考えることで自分の物事の受容の仕方を刷新していくことになる。もちろんこれは数ある手段の中の1つに過ぎないが。そしてこれは言わずもがな小説にだけ当てはまる話ではない。



青木淳悟の文章の向こう側は広大だということを言いたいがためにこんなことになったけど、僕がどれだけ書こうと魅力を塵ほども伝えられないので、少しでも興味が湧いた人は新品で買って下さい。長~~~~い目で見れば絶対後悔はしないと思います。
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